2021年08月04日

因縁のメキシコ戦、いまだに釜本の影を追う代表

東京2020サッカー男子3位決定戦は、1968メキシコと同じ組み合わせとなってしまった。何という因縁か。
メキシコオリンピックでのメキシコ対日本、東京オリンピックでの日本対メキシコ。
そして、50年以上の年月を経て、なお越えられない絶対的エースストライカー釜本。
あれ以来、釜本2世とマスコミが書き立てた選手がどれほどいたことか。
彼らは全て小粒で、期待外れに終わっていった。
21世紀にもなると、釜本2世とはさすがに言わなくなりましたね。
彼と比べて語れるのは、奥寺と中田だけやろう。
代表チームでの存在感と信頼感ではカズも入れられるか。

今回もやっぱり、というか当然、釜本氏がインタビューされている。
いい加減にせー、と思ってるやろうな。
俺が生きてるうちに越えろやとね。

かぶといぬはメキシコ五輪は記憶になく、代表時代の釜本氏も晩年しか知らんですが、釜本が日本リーグで誰も追いつけない得点を積み重ねとったんはおぼえている。
ヤンマーでは「天皇」、「グランドにいる監督」だったですね。
芝ではない土のグランドで、スタンドはガラガラで、ボールを蹴り続けとった、日本サッカー不遇の時代だった。

中学生のときに、しょっちゅう釜本の伝説を語る体育教師がいた。
釜本と同時期に、京都の隣の高校でサッカー部をしとったそうで、メキシコ五輪の代表選考のどこかの段階で落ちた人だった。
とにかく、釜本は、でかくて、速くて、突進してくるとどうにもならん相手だったそうな。
ドスケベなやつだったと言っていたのは、中学生相手のリップサービスだったのかも。

タグ :釜本の記憶

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