2023年01月19日

内田百閒と諏訪根自子

作家内田百閒は元祖鉄ちゃんとして、あるいは借金王として有名だけど、音楽や小鳥飼いなどの趣味にもうつつを抜かす自由人だった。
このところ、百閒戦後日記を少しづつ読んでいる。
この日記がまたスゲーシロモノで、日記というより本人の行動メモなんだが、書いてあることは私的な身の回りのことばかり。
今日はどんな気温だったか、どこへ行ったか(出版社と法政大学の知り合いのところで金の工面ばかり)、誰が来たか、どれだけ酒を飲んだか、酒屋からどれだけ酒が届いたか(ツケ買いもしくはツケの返済)の記録である。
合間に原稿を何枚書いた、ぐらいはある。
まあ、半日か夜だけの執筆で、生きていけたみたいである。妻と二人暮らしやしね。
誰もやってこない日はないのが、百閒先生の人徳ということか。
中には、諏訪根自子のヴァイオリンを聞きに日比谷公会堂へ行った、というのが、幾日かある。
昭和24年には4月、6月と行っている。
諏訪根自子は美貌のヴァイオリニストとして戦時下の欧州で活躍したことで有名なんですが、三国同盟の時期にゲッペルスからストラディバリウスをプレゼントされたのが、現在となってはたいへんマズイこととされています。
まあ、そのころは原節子もナチスと日本帝国のプロパガンダ映画に出てるんで、しゃーないんですがね。
百閒先生はお琴をたしなまれるし、戦後のこの時期にはサラサーテの盤という著作もあり、なんらかのインスピレーションを得てたのかもな。
それにしても、昭和24年と言いますと、もちろんGHQの統治下、国鉄にまつわる不穏な事件が色々あったんです。
ところがこの日記にはGHQなんざ、一言も出てこない、下山事件の日も松川事件の日も三鷹事件の日も、百閒先生はマッタク動ぜず、晩酌をやっておられる。事件なんか知らんかったのではないか。
フランス人みたいな個人主義は痛快であるな。


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